沿革
屯鶴峯観測所は,大地震と地殻変動の関係を明らかにし,地震予知の手掛かりを得ることを目的として,昭和40年度に奈良県北葛城郡香芝町穴虫(現香芝市穴虫)に設置された。同地域に残る防空壕跡を借用し,その一部を改修してひずみ計9台、水平振子傾斜計10台,水管傾斜計2台を設置し,観測を開始した。一方,昭和36年に「地震予知研究計画」が発表され,昭和40年度から全国的な規模で組織的研究が始められた。この第一次5ヵ年計画に基づき昭和42年6月1日,防災研究所附属施設として屯鶴峯地殻変動観測所が新設された。観測坑道は既設の観測室を利用している。第三次地震予知計画により,昭和51年度には観測のテレメータ化が実現し,宇治構内のセンターへのデータの伝送による集中観測が行われることになった。昭和54年度から始まった第四次地震予知計画では,地震予知の実用化を目指し,各地に点在する既設の観測室を「地殻活動総合観測線」として再構成し,テレメータ方式の総合集中観測が行われることになった。平成2年6月に京都大学の地震予知研究に関連する研究部門・センター・観測所が統合・再編成され,新たに防災研究所附属施設として地震予知研究センターが設置された。これにともない,屯鶴峯地殻変動観測所は同センター附属屯鶴峯観測所として再出発し,現在に至っている。
施設
観測所は庁舎と観測室(坑道)からなる。庁舎は奈良県香芝市穴虫あり,鉄筋コンクリート構造2階建で昭和44年3月に竣工した。観測室(坑道)は庁舎の西方約700mの同じ香芝市穴虫にあり,付近一帯は第三紀中新世後期から鮮新世前期の火山活動の際の噴出物が堆積したといわれる二上層群下部のドンズルボウ層(白色凝灰岩や凝灰角礫岩からなる)が風化・侵食をうけて,白色の奇妙な形をした岩石が露出し,遠くから眺めると鶴がたむろ(屯ろ)しているように見えるというので屯鶴峯と呼ばれ,景勝地として有名であり,奈良県の天然記念物に指定されている。観測室(坑道)は第二次世界大戦末期に掘られた軍の防空壕施設跡で,相隣る二つの山を縦横に走っており,断面は幅約4m,高さ約3mの素掘りの大規模な坑道の一部を利用している。坑道は昭和54年に巻立補強工事が行われた。坑道入り口には二階建ての遠隔記録室がある。
観測
屯鶴峯観測所では,地殻変動と地震発生との関係を究明することを目的として,地殻変動のひずみ計や傾斜計による連続観測を主とし,これに光波測量などを加えた測地学的手法を用いた地震予知の方法の研究を行っている。観測坑道には18.3mの石英管ひずみ計3成分をはじめ,8成分のスーパーインバール棒ひずみ計を設置して地殻の伸縮変化を連続観測している。これらのひずみ計はサンプリング速度を上げてひずみ地震計としても記録されている。同時に水平振子型傾斜計や水管傾斜計が設置され地殻傾斜が観測されている。坑道内には深度40mの坑井が掘削され水位観測が行われている。さらに坑道内では湧水量や精密気温が測定されている。一方,屯鶴峯観測所周辺では最長12kmの光波測量網を設置し,広範囲のひずみ変化を測定している。また,観測所から南方には日本最大規模の活断層群である中央構造線が存在していることから,五条地区,粉河地区,そして四国の池田地区,川之江地区で活断層の活動様式の解明ために光波測量を定期的に行っている。さらに,屯鶴峯観測所は紀伊半島の中央部にあるため,南海地震や東南海地震の予知研究にむけての紀伊半島のGPS観測や井戸水位観測の拠点観測所となっている。
研究課題