徳島観測所

779-3233徳島県名西郡石井町石井2642−3


徳島地震観測所は1972年5月に第2次地震予知計画の微小地震観測網整備の一環として教育実習施設として理学部に設置された。1974年12月より徳島県内4ヶ所(本所石井,口山,鷲敷,上那賀)で煤書きドラム式の委託観測を開始し,1982年から1984年のテレメーターシステムと自動処理装置の導入の時期まで続けた。この間の研究成果は,高知大学理学部,東京大学和歌山地震観測所との共同研究成果として公表されている。

自動処理装置の導入は隣接の和歌山観測所,高知大学高知地震観測所とのデータ交換と並行して進められ,和歌山をセンターとする広島,高知,徳島,和歌山による南海観測網の中継所の役割を果たした。1990年6月には,理学部の施設から防災研究所の地震予知研究センターの施設へ移行し,同センター附属徳島観測所として再出発した。地震研究所を中心にした微小地震の流通システムは阪神・淡路大震災以後,大学への衛星テレメーターシステムの導入によるデータ流通の一層の推進と気象庁とのデータ交換へ発展し,さらにこれらと連携した地震調査研究推進本部による基盤観測網の整備も進められ地震観測の環境は大きく変わった。

1997年以降は上記システムの整備の中,徳島の微小観測網は京都大学防災研究所の地震予知研究センターのサターンシステムの一部として機能するようになった。現在の観測点はテレメーター観測以降の石井,上那賀,塩江,池田の4点で中央構造線を跨いだ配置を取っている。又,この他の観測項目としては上那賀,塩江での速度型強震観測,及び本所石井に於ける防災科学技術研究所のFreesiaの計画(広帯域観測と速度型強震観測)への協力である。

1997年には南海観測網の研究成果が公表され,南海トラフの活動と関連した陸側へ傾斜する上部マントルの地震面の形状と起震応力の地域的特徴が詳細に求められ,フィリピン海プレートに関する議論に重要なデータを提供した。兵庫県南部地震以後,西日本の地震活動は活動期に入ったとの指摘もある.しかし,中央構造線の活断層としての振る舞いについては未解明の点が多く,また南海地震の発生予測に対しても重要な関わりがある。これらの21世紀前半の西日本の地震災害軽減における重要課題の解明するために,引き続き四国東部の地震活動と起震応力場の変化を詳細に把握して行くと共に,地体構造の解明の為の基礎研究を積極的に進める必要がある。徳島観測所は,このための観測拠点としての機能が期待されている.