どんづるぼう。この奇妙な地名は,実は大阪・奈良の人々にとってはなじみであり,ハイキングなどで 訪れた経験を持っている人もいることでしょう。大阪と奈良の両府県を分ける生駒金剛山系の中央にラク ダの背のように二つの頂が連なった二上山と呼ばれる火山があり,その麓に火山灰起源の岩層の隆起と侵 食で形成された奇怪な地形があります。露出した白い岩 層上に松の樹木が点在する情景を,松林にたたずむ鶴の 群れにたとえて,古くから 「 鶴が屯(たむ)ろした 」 とい う意で 「 屯鶴峯 」 といわれ,金剛生駒紀泉国定公園の景 勝地として知られています。1978年には奈良県の天然記 念物に指定されました。この地に太平洋戦争の末期1944 年ごろから当時

観測所の位置図     

の陸軍により,最後の抵抗の拠点とすべ く延長2km におよぶ網の目状の防空壕が掘削されまし たが,予定していた航空総軍戦闘指令所などの軍事施設 が完成する前に終戦を迎えました。戦後,この戦争遺跡 ともいうべきトンネルの一部(坑道平面図で赤色の部分) が,地震予知を目指す研究のための地殻変動観測坑道と して活用されています。


 地殻変動観測は土地の伸縮や傾斜を精密に観測するこ とで,測量による方法と,トンネル内でひずみ計(水平 に保持した水晶管やスーパーインバー棒を不変長のスケ ールとして地面の伸縮を計る;この構造のものは伸縮計 と呼ぶ)や傾斜計(水平坑道では連通水管の両端の水面を 基準面として,その地面からの高さ変化より傾斜を測る ものが主流)を使う方法,最近では GPS など宇宙技術も 使われます。伸縮計・傾斜計による観測は,10のマイナ ス9乗の極微小な歪変化が計測可能で,精密な測定を乱 す気温変化などの影響から免れるために地下に計器を設 置します。京都大学では,この観測の古い

  坑道平面図。赤色部分が観測に使用している部分

歴史をもっており,本誌 No.641(2009.1)本コラムの阿武山観測 所でも触れているように,1912年には理学部地球物理学教室の初代責任者の志田 順が,地殻変動観測で 記録された地球潮汐の解析から月・太陽による起潮力が引き起こす変形を正確に記述するためのパラメー タの一つを提唱し,それはよく知られた数理物理学者A.E.H.Love の名を冠したラブ数とともに,志田数 として現在も地球の物理特性や地殻変動の解析には欠かせない理論の一部を形成しています。その後,地 震発生と地殻ひずみの関係も着目され,全国の多くの鉱山や戦後に残された防空壕を利用した観測が行わ れ,本坑もその一つです。
 1965年度から地震予知研究計画が始まり, これに基づく観測所として,1967年6月にこ のトンネルを利用した防災研究所附属屯鶴峯 地殻変動観測所が発足しました。庁舎は坑道 の北約800mの地に鉄筋コンクリート2階建 で,1969年3月に竣工,観測坑道の入り口に は遠隔記録室が建設され,データが庁舎まで 伝送されます。創立当初から助手1名(2008 年3月定年退職),技官1名が常駐し,この坑 道とともに後述する衛星観測点なども含めて 観測・研究にあたっています。また,防災研 究所の研究部門とは密接な連携を保ち,観測所長は関連部門の教授が兼務しています。初代所長は,観測 所の官制が施行される前からこの地での観測を進めていた高田理夫教授(現名誉教授)が停年

  旧観測所庁舎(〜平成12年3月)     

(1987年)まで 務めました。データ伝送・処理システムなども充実してきて,1986年のテレメータ化以後は,宇治へもデ ータが転送されるようになりました。1990年には,防災研究所に地震予知研究センターができたのに伴い 同センターに移管され,屯鶴峯観測所となりました。1994年には,地震予知計画に基づき西日本の各観測 点が「地殻活動総合観測線」として束ねられましたが,本観測所は近畿地方の中央にあって,上宝,鯖江な どの「北陸」と鳥取や阿武山などの「近畿山陰」の両測線の交点として重要な位置にあります。

 観測坑道は,2000万年前~1500万年前ごろの二上火山群の火成活動の堆積物であるドンズルボー層とい う地層に掘られています。白色凝灰岩や凝灰角礫岩の素掘りの坑道でしたが,崩落の恐れがあるため,観 測坑の部分のみ1979年にコンクリート吹き付け工事を行いました。観測坑道内には各種の伸縮計や傾斜計 が設置されており,特色ある機器としては,6成分伸縮計があげられます。通常,伸縮計は水平ひずみの 算出のために3方向で測りますが,本坑では均質3次元ひずみを表すのに必要な6パラメータを勘案して, 鉛直成分を含む6成分で連続観測を行っています。

 観測開始からの41年間の連続観測の記録は,地震予知研究の貴重なデータとなっています。最近では近 畿中北部で2002-2003年以降,微小地震活動の静穏化や地殻ひずみ速度の変化が各観測所で検出されてい ますが,本観測所でも,北方の逢坂山などの観測所で変化が始まるのに先立って,変動速度に変化が生じ ています。また,長期変動は紀伊半島の潮位変動との相関が見られ,プレート運動との関連が示唆されて います。定期的に実施してきた中央構造線を跨いだ光波測量では,構造地質学的に求められた中央構造線の右横ずれ(北側が東向きに,南側 が西向きに動く)断層運動と調和的な, 毎年0.1マイクロストレイン( 1 千万 分の1)の歪みが観測されていますが, これは西日本の

観測坑道内。 高さ約2.5m,幅約3.5m。旧日本陸軍が掘削したもの。崩落防止のため,本学に てコンクリート吹き付け工事を施工した。 右側,一列に並んだコンクリート台に設置されているのがスーパーインバー棒 伸縮計(矢印の機器)。 (シリカ管製の現役機は断熱カバーで完全に覆われ内部構造が見えないため,同 構造の退役機部分の写真を示す)

広域的な地殻変動の大 きさを超えるものではなく,中央構造 線自体での滑りは起きていないと考え られます。ひずみの観測以外では,縦 坑や各地の井戸での水位観測なども手 がけており,これは南海地震直前の井 戸水位低下のメカニズムの解明に寄与 しています。

 観測坑道としては,屯鶴峯の本坑の ほかに,紀伊半島各地に衛星観測点と して,由良町・熊野市紀和町で連続観 測を続けています。これらの地域の地 下では,現在の地震学のトピックスの一つである低周波地震(地震のマグニチュードの割には周期の長い (低周波の)地震波を放出する)が時折発生し,その発生域が紀伊半島直下を南西から北東方向に移動する 現象が各機関の地震観測結果からわかり,プレート沈み込みの場所で何が起きているか,興味深い話題と なっています。その他にも,海溝型の南海地震が近づくに従って,これまでの知見にない現象が発生して くる可能性があります。そのため,地震観測とこれまでの地殻変動観測の中間の周波数領域(数百秒,数 十分,数時間)もカバーする観測網を調えています。さらに機器開発として,田辺市中辺路の観測点では, ひずみ計の多点分布を可能にする簡易ひずみ計の試験観測も行っています。

 本観測所の所在地は,大阪奈良間の交通の要衝の一つである穴虫峠であり,高度成長期の荒波にもまれ ながらも坑道自体は自然の景勝・記念物の“傘の下”かろうじて守られてきた40余年なのですが,広域的に 見た場合,内陸地震と海溝型地震の両者を対象とする立地条件にあり,これらのデータによる観測・研究 はますます重要さが増すといえます。なお屯鶴峯地下壕については,近年の戦争 遺跡に対する興味の深まりの中で史料の発掘などが行われ,本稿冒頭部ではその 成果も参考にしましたが,一般坑道部は崩落の危険性があることと,観測に支障 をきたすことから,入坑見学はお断りしています。


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