京滋地震情報

(おことわり)以下の文章および図は、京都新聞に連載されているものを転載したものです。

(この連載に関するお問い合わせ)地震に関する疑問や質問を電子メールでお寄せ下さい。アドレスはkagakubu@mb.kyoto-np.co.jpです。

2002年1月

(「京都新聞 2002年(平成14年)2月21日 木曜日」に掲載)

2002年1月の震央分布図

菅原道真と地震

菅原道真の命日2月25日は北野天満宮の梅花祭です。今は入試のシーズンですから合格祈願にお参りする人も多いと思います。ところで、今年は道真の没後1100年です。道真は18歳で今の大学生「文章生(もんじょうせい)」になり、26歳の時に「方略試(ほうりゃくし)」という公務員試験を受けました。このときの出題2問のうち1問が「地震について論ぜよ」で、道真の答案も残っています。

中国で起きた地震について年代や被害について述べたうえ「地震は君主に対する戒め」といったような答案を書いています。評価はあまり良くなかったようですが、結果は合格でした。

道真の時代(845-903)も京都周辺で地震がたくさん起きました。西暦856年の京都の地震(M6.0-6.5)をはじめとして、868年の播磨の大地震(M7.0以上)、さらに余震が長く続いたという881年の京都の地震(M6.4)、そしてついに887年、五畿七道を揺るがす巨大地震(M8.0-8.5)、今日でいう南海地震が起こりました。

京都の被害は「諸司舎屋・民家の倒壊多く圧死者多数」と記されています。道真43歳、讃岐の守として任地でこの地震に遭遇しています。

昨年8月25日に京都市の北でマグニチュード5.1の地震がありました。そのあと地震数が増えていましたが、1月にはようやく500回以下になりました。それでもなお、鞍馬付近では高い地震活動が続いています。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年2月

(「京都新聞 2002年(平成14年)3月21日 木曜日」に掲載)

2002年2月の震央分布図

アフガニスタンでM7.3の地震

紛争の続くアフガニスタン北東部で今月3日、マグニチュード7.3の地震がありました。この地域は地震が多いところです。インドの北のヒマラヤ山脈からアフガニスタン北部のヒンドウークシ山脈は、インドプレートとユーラシアプレートがぶつかり合って出来た巨大な山脈です。

ふたつのプレートがぶつかり合ったとき、どちらかのプレートが相手の下に沈み込んでいくのが普通ですが、ここではどちらも沈まないで衝突しているため、大地がどんどん盛り上がって、とうとう世界の屋根と言われるほどの山岳地帯を作ってしまいました。

この衝突のために地殻活動が活発で地震も多く、アフガニスタン北部では1998年の2月と5月にもマグニチュード5.9と6.2の地震が発生し、合わせて6000人以上の死者が出ました。3日の地震は250kmという深いところで起きましたので、地震の大きさに比べると被害が少なかったものの、山が崩れて死者行方不明合わせて150人以上と報告されています。またこの山崩れで川がせき止められ、洪水になっているそうです。

日本でも過去に同じような事が起きています。この近くでは花折断層が活動したとされる1662年の大地震で武奈ヶ岳が崩れ、安曇川をせき止めました。やがて水かさが増し、土砂で出来た堰が崩壊して下流では大きな洪水被害が起きています。

上の震央分布図で、京北町付近の地震活動がめだっているのは去年の8月に起きたM5.1の余震が今も続いているためです。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年3月

(「京都新聞 2002年(平成14年)4月18日 木曜日」に掲載)

2002年3月の震央分布図

京都市の北、活動数は減る(アフガニスタンと台湾で被害地震)

アフガニスタンでは先月3日のマグニチュード7.3の地震に続いて、27日にもマグニチュード6.1の地震がありました。3日の地震は深さ250kmで起きましたが、27日の地震の深さはわずか10kmでした。大きな被害を受けたナハリンの街は震源の真上だったため、直撃を受けたと思われます。耐震性のほとんどない日干し煉瓦作りの家はひとたまりもなく破壊され、1000人を越す犠牲者が出ている模様です。

31日には台湾近海でマグニチュード7.3の地震が起きました。花連市で工事中のビルからクレーンが落下して5名の犠牲者が出ましたが、家屋やビルが崩壊して多くの犠牲者が出るといった大惨事は免れました。震源が花連市の東方沖44kmの海底だったこともありますが、アフガニスタンに比べると耐震性の高い家屋や構造物が多かった事が大きな理由だと思われます。

台湾では99年にもマグニチュード7.6の集集大地震がありました。このときは震源が台湾内陸部だったため、2300人以上もの犠牲者がでました。アフガニスタンも台湾も日本と同様に、複数のプレートがぶつかっているプレート境界にあるため、地震が多いのです。アフガニスタンや台湾で起きた地震も、よそ事とは思えません。

京都市の北の地震活動は続いていますが、数は減っています。神戸市の直下で3月21日マグニチュード3.1の地震がありました。この地震は95年の兵庫県南部地震の余震です。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年4月

(「京都新聞 2002年(平成14年)5月16日 木曜日」に掲載)

2002年4月の震央分布図

京滋で有感地震3回

4月は京滋で身体に感じる地震が3回ありました。最初は4月11日のマグニチュード2.9の地震で、(琵琶湖の西岸、)雄琴の直下深さ13kmの所で起きました。この付近では国道161号線に沿うように「堅田断層(全長11km)」があります。11日の地震はこの断層で起きたものと思われます。

2回目は4月28日の三重県の地震でマグニチュード4.3です。三重県といいましても、奈良県や京都府に近いところで、深さは55kmでした。この地震はフィリピン海プレートで起きた地震です。近畿中部のフィリピン海プレートは熊の灘の沖合から北西に向かって沈み込んでおり、地震の分布からわかるプレートの先端は東大阪市付近まで達しており、もっとも深いところは80kmあります。

3回目は同じ28日の午後2時頃に起きたマグニチュード2.4の地震で、震源地は京北町周山付近、三峠断層系の南東端近くの深さ7kmのところで起きました。

福井県三方町と滋賀県今津町との境付近の地震活動が目立っています。このあたりも地震活動の高いところで、4月中には○○回の地震が起きました。昨年の12月28日には少し南でマグニチュード4.5の地震が起こっています。

2002年5月

(「京都新聞 2002年(平成14年)6月20日 木曜日」に掲載)

2002年5月の震央分布図

花折断層に沿った鯖街道

地震・雷・・・と地震は恐ろしいものの筆頭に挙げられていますが、私たちが地震から受けている恩恵もたくさんあります。その一つが道です。京滋でそれとはっきりわかるのは花折断層に沿った国道367号線です。地震が起きるということは断層がずれることですが、一回の地震でずれるのはたかだか数mです。しかし、地震は繰り返し起きますので、そのたびにずれは広がり、山といえども引きちぎられて数百mもずれてしまいます。こうして出来たものの一つが花折断層です。断層すなわち山の切れ目は谷になり、谷には川も流れます。そうなりますと、人は高い山を越えなくても断層沿いに山の向こう側と行き来が出来るようになります。若狭で獲れた魚を都に運ぶのに、丹波の山々を越えなくても往来が容易な鯖街道が花折断層沿いにできたのです。断層は数千年に一度しかずれませんので、数百mもずれるのには数十万年かかります。私たちの「時間の物差し」から見ると長い年月ですが、地質年代から見ますとわずかな時間です。他にも、京滋の近くでは有馬―高槻構造線に沿った西国街道があります。近年では山崎断層に沿って中国自動車道が建設されました。

5月8日午前9時48分頃、滋賀県長浜市の近くでマグニチュード3.3の地震があり、近江町で震度1を観測しました。京北町の周山付近、福井県三方町と滋賀県今津町の境付近の活動は以前から続いているものです。琵琶湖の西岸、北小松付近でも小規模な地震活動が先月から続いています。全体の地震数は478回でした。

2002年6月

(「京都新聞 2002年(平成14年)7月18日 木曜日」に掲載)

2002年6月の震央分布図

滋賀県の被害地震

滋賀県では近年、大きな被害が出るような地震は起きていません。だいたい2,3世代、50年から100年ほど大地震がないと、何となく「この地には地震は起きない」と思われるようです。

1995年の兵庫県南部地震の前もそうでした。多くの人が「関西には地震が起きない」かのような感じを持っていたのも、1948年の福井地震(M7.1)以降、大きな被害地震がなかったからでしょう。

日本列島はプレート境界という変動帯に位置していますので、いつどこで地震が起きても不思議ではないのです。

滋賀県でも、100年近く前の1909年にマグニチュード6.8の姉川地震が起こり、35名の方が亡くなっています。さらにさかのぼると1662年にマグニチュード7.5の大地震が花折断層北部で起こり、600名以上の犠牲者がでました。

地震の被害は自分の住んでいる所で起きる地震によるものだけではありません。30年以内に発生する確率が50%と推定されている東南海地震で、彦根市付近での震度は5程度、場合によっては震度6弱と予想されています。地震に対する正しい知識を持って備えをしてほしいと思います。

6月22日に美山町でマグニチュード2.8の地震がありました。その他には特に目立った地震活動はありませんでした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年7月

(「京都新聞 2002年(平成14年)8月15日 木曜日」に掲載)

2002年7月の震央分布図

断層からおいしい水

京都や滋賀では、おいしい湧き水が出るところがたくさんあります。このおいしい水は、実は地震によってできた断層から湧き出していることが多いのです。

地震による断層は、大地の深いところにある水脈も断ち切ります。地下深部の圧力は非常に高いものですから、断ち切られた水脈から水が押し上げられるのです。岩盤の隙間をぬってゆっくり上昇してきた水はたっぷりとミネラルを含んで、おいしい水になります。

環境庁が「日本の名水百選」のひとつに選んだ伏見の御香水は桃山断層が起源と見られています。伏見という地名は伏水(ふしみず)からきたそうですが、断層から湧きでる水を意味しているのかも知れません。

地震そのものはやっかいものですが、その結果として出来る断層から、私たちはいろいろな恵を受けています。

今月から、地震の分布をのせる地図を山と平野、盆地がわかるようにしました。新しい図で見ますと、微小地震は平野よりも山地に多いことがわかります。

7月16日夜8時9分頃、京都市の北西の清滝付近でマグニチュード4.2の地震があり、京都市中京区や亀岡市などで震度3を観測しました。この地震に続く余震は7月中に23回ありました。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年8月

(「京都新聞 2002年(平成14年)9月19日 木曜日」に掲載)

2002年8月の震央分布図

異常現象と前兆現象

大地震の前に地下水が噴き出したとか地鳴りがしたという「異常現象」は地震の起こった後では必ずと言っていいほど報告されます。しかし地震のおこる前に、それがたしかに「前兆現象」だと客観的に判断できるかというと、これは非常に難しいことです。

「前兆現象」だと言うには、その現象のあとに続いて起こる地震の「時間」「場所」「大きさ」の3つを予測しなければなりません。これができれば地震予知ができることになりますが、そういう意味での地震予知は現在の地震学では、まだできません。

地震の前に、通常とは違った現象が観測されたとしても、その時点では「異常現象」としか言えません。「異常現象」が地震の「前兆現象」となり得るには、その現象と地震発生との間の因果関係が科学的に解明されなければなりません。また「異常現象」は平常時の状況を基にして判断出来るものですから、平常の客観的な観察や観測データが必要です。

このコラムの毎月の震央分布図から、京滋の通常の地震活動がわかります。去年の5月から先月までの月平均地震回数は469回です。この数が著しく増えた場合は「異常」ですが、去年の8月25日の地震(M5.1)に続いて起こった余震のために、昨年9月の地震数は700回を越えました。そういった「異常」の内容についてもこのコラムでは解説していきたいと思います。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年9月

(「京都新聞 2002年(平成14年)10月17日 木曜日」に掲載)

2002年9月の震央分布図

有感地震の多かった9月

9月は、京滋でマグニチュード3を越えた地震が4回、身体に感じる地震は9回(内京滋の地震では6回)ありました。通常よりやや多いようです。先月述べました「異常」かどうかを地震活動について見てみましょう。

2日の堅田付近の地震(M3.4)は大津市などで震度2でしたが、この地震に続いて13日と28日にも同じところでマグニチュード2.8と2.5の地震がありました。この付近では8月から小さな地震が起きています。

4日に伊吹山付近でマグニチュード4.1の地震があり、彦根市などで震度2を観測しました。この地震の起きた深さは50kmと、やや深いところでした。13日の今津町付近の地震(M3.8)も深さ17kmでした。地震の大きさにもよりますが、一般に深いところで起きた地震では余震があまり起きないことが多く、4日と13日の地震も余震は観測されませんでした。

20日には京都市と高槻市の境界にあるポンポン山の直下10kmでマグニチュード3.3の地震がありました。この付近も小さな地震のよく起きるところで、8月24日にもマグニチュード2.7の地震が起きています。

9月は、有感地震は多かったものの地震の総数は454回で、平均回数468回に比べると多くはありません。有感地震は多かったものの、特に地震活動が「異常」に高かったわけではないことをご理解いただけると思います。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年10月

(「京都新聞 2002年(平成14年)11月21日 木曜日」に掲載)

2002年10月の震央分布図

平野部に地震が少ないのはなぜか

8月の震央分布図から地形もわかるように色付けしましたが、最初は平野と山の陰影を強調しすぎて地震を示す丸印がかえって見づらくなりました。背景になっている地図の陰影を和らげたり、印刷のトーンを落として、ようやく元通りの地震を強調する図にすることができました。

地形の上に地震をプロットしたことで、さっそく読者の方からご質問をいただきました。「琵琶湖東岸から鈴鹿山脈にかけての平野部に地震が無いのはなぜか」という内容でしたが、残念なことに「地震の起こらない理由」はよくわかっておりません。

逆に、丹波山地に地震が多いのは山地を構成している古成層が硬くてもろいため、ピシピシと壊れやすいと考えられています。裏返えせば、平野部を構成する岩体は壊れずにじわじわと褶曲しているとも考えられます。じっさいに、30年ほど前にそういう説も出されましたが定説にはなっていません。

京北町の地震活動は相変わらず活発で、10月中にこの付近だけで60回の小さな地震が起きました。今月の11日午前2時3分にもマグニチュード3.5の地震があり、京北町での震度は3でした。

その他は目立った地震活動はありませんでした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2002年11月

(「京都新聞 2002年(平成14年)12月19日 木曜日」に掲載)

2002年11月の震央分布図

小さい地震ほどたくさん起こる

地震のマグニチュードが1小さくなると、発生する地震の数はおおよそ10倍になることが知られています。今年の1月から11月まで、京滋とその周辺、つまり上の地図の範囲で起きたマグニチュード1以上の地震は3369回でした。

マグニチュード別の地震回数を表にしてみました。マグニチュード4以上5未満の地震が3回なのに対して、マグニチュードが1ランク下がる毎におおよそ1桁ずつ回数が増え、マグニチュード1〜2では3000回余り起きていることがわかります。

19日に浅井町付近でマグニチュード4.2の地震が起きました。この近くでは9月4日にもマグニチュード4.1の地震がありました。深さは50kmで、このあたりまで沈み込んでいるフィリピン海プレートで起きたものです。

一方、11月の地震の深さは10kmと浅く、地殻内で起きた地震でした。深いところで起きた9月の地震では余震はひとつも観測されませんでしたが、11月の地震では翌朝までに20回あまりの余震が観測されました。

マグニチュード 地震回数
4−5 3  
3−4  20  
2−3 273  
1−2 3073  

2002年12月

(「京都新聞 2003年(平成15年)1月16日 木曜日」に掲載)

2002年12月の震央分布図

2002年に起きた地震

昨年、地球上で起きたマグニチュード7以上の地震は13回ありましたが、マグニチュード8を越える地震は1回もありませんでした。過去100年間の平均ではマグニチュード7以上の地震は年に19回、そのうちマグニチュード8以上は年に1回起きています。昨年の地震は少な目だったことがわかります。

13回のうち12回までが西太平洋の縁で起きています。この地域では、4月1日のニューギニアの地震(M5.9)で36人、3月5日のミンダナオ島の地震(M7.5)で15犠牲者を出した他は10人以上の犠牲者を出した地震はありませんでした。

一方、アフガニスタン、イラン、トルコと言った国々ではマグニチュード7以上の地震は1回だけだったのもかかわらず、多くの犠牲者が出ています。特に人的被害の大きかったのは3月25日にアフガニスタンで起きたマグニチュード6.1の地震で、犠牲者は1000人を越えました。

地震に対する考え方や防災に対する取り組み、備えの違いが犠牲者数の違いに現れているように思えます。昨年1年間に地震で亡くなった人は世界中で1690人でした。

京滋では、震源の決められた地震は昨年1年間で5648回でした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

Status: 2003-06-14 更新