京滋地震情報

(おことわり)以下の文章および図は、京都新聞に連載されているものを転載したものです。

(この連載に関するお問い合わせ)地震に関する疑問や質問を電子メールでお寄せ下さい。アドレスはkagakubu@mb.kyoto-np.co.jpです。

2003年1月

(「京都新聞 2003年(平成15年)2月20日 木曜日」に掲載)

亀岡断層でM4.5、油断は禁物

今月の6日午前2時37分ごろ、京都府南部でマグニチュード4.5の地震があり、亀岡市や京都市で震度3の揺れを観測しました。夜中にドーンと下から突き上げるような揺れを感じた方も多いと思います。

震源は亀岡市旭町の直下15kmのところでした。上の地図には本震の位置を赤丸で示しました。亀岡市の東には盆地と山地の境目に「亀岡断層」がはしっています。6日の地震はこの断層沿いに起こったものと思われます。

この付近では今から170年余り前の1830年8月にマグニチュード6.5の地震があり、京都で280人、亀岡で4人の犠牲者が出ました。

南海トラフ沿いの巨大地震が起きる半世紀くらい前より、西南日本は地震の活動期に入るといわれますが、1830年の地震もその活動期に起きたものです。この地震から24年後の1854年12月にマグニチュード8.4の安政東海地震が、その32時間後にはマグニチュード8.4の安政南海地震が起きています。

一方、昭和の東南海・南海地震の前の活動期には、幸い京滋で被害地震はありませんでした。170年余りも被害地震がないと、京滋に大地震は起きないような印象を持ちますが、油断は禁物です。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年2月

(「京都新聞 2003年(平成15年)3月20日 木曜日」に掲載)

花折断層の地震発生確率

花折断層で大地震の発生する確率が、今月の12日に政府の地震調査委員会から発表されました。花折峠より北の断層と、さらにその北側の三方断層については寛文2年(1662年)にマグニチュード7.5の地震が起きていますから、当分大丈夫だろうということで発生確率は0%でした。

一方、南半分で地震が起きた証拠は、断層のトレンチ調査によって、今から2800年前から1400年前までの間と推定されています。長い間大地震が起きていませんので、発生確率は高くなりそうに思えますが、今から30年以内に大地震が発生する確率は0.6%と発表されました。

なぜこんなに小さな数値になるかといいますと、この断層で地震が起きるのは4000年から6000年に1回と、間隔が非常に長いにもかかわらず、今から30年以内という短い間に地震の発生する確率を計算しているからです。

繰り返し間隔が100年程度の南海地震とは違って、内陸の活断層での地震は発生間隔が数千年と長いため、地震発生確率はどれも小さい数値になります。ですから、0.6%という数値でも他の内陸の活断層と比べると「やや高いほう」の部類に入ります。

数値は小さいですが、安心してはいけません。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年3月

(「京都新聞 2003年(平成15年)4月17日 木曜日」に掲載)

水が地震を引き起こす(1) 注入実験で判明

先月京滋を中心として、第3回世界水フォーラムが開催され、さまざまな観点から人と水とのかかわりについて話し合われました。

実は、水は地震とも深い関係にあります。地震そのものの巨大なエネルギーは、地球規模のプレート運動によって蓄積されるのですが、地震を起こすきっかけ(トリガー)に水が関係しているらしいのです。

1962年、アメリカ、コロラド州デンバーで、工場廃水を地下3700mの深井戸に、圧力をかけて注入したところ、もともと地震の無いこの地域で、小さな地震が起こり始めました。

翌年、水の注入をやめると地震も起こらなくなりましたが、その翌年、注入を再開するとまた地震が起きだしたのです。最大でマグニチュード5.2の地震も起こりました。

この事件を契機として、地震と水との関係が注目されるようになり、日本でもこの種の実験が行われました。圧力の高い水を岩盤に浸透させると地震を引き起こすことから、水が地震のトリガーになりうることがわかりました。

3月の地震回数は311回と、やや少なめでした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年4月

(「京都新聞 2003年(平成15年)5月15日 木曜日」に掲載)

水が地震を引き起こす(2) そのメカニズム

地震は地殻の岩盤がこわれることですが、地球の中は圧力が高いため、粉々にこわれるのではなく、羊羹(ようかん)をナイフでスパッと切ったようにシャープな切れ目ができます。

この切れ目が断層であり、それを境に岩盤が上下または左右に“ずれる”現象が地震なのです。

先月は、水に圧力をかけて地下ふかく注入すると、その周辺で地震が起こることを述べました。これは、もともと地殻の中にあった切れ目(断層面)に水がしみこんで、断層をずれやすくしたためです。

水で濡れた接触面は滑りやすくなることは、日常的にも体験することで、例えば濡れた床をゴム長靴で歩くと滑りやすいのもそのひとつです。

この場合は、床面の薄い水の層がゴム靴で押さえつけられた瞬間、水の圧力がいっきょに高くなって、ゴム底に大きな浮力を生じさせるため、滑りやすくなるのです。

このように、水の存在に加えて圧力をかけるというところが重要なポイントです。

ですから、単に雨が降って断層に水がしみ込んだだけでは、水に圧力がかかっていませんから地震のトリガーにはなりません。

4月の地震回数は258回と、3月の311回よりさらに少なめでした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年5月

(「京都新聞 2003年(平成15年)6月19日 木曜日」に掲載)

琵琶湖西岸断層帯(1)地震確率

琵琶湖西岸断層帯で、今から30年以内に大地震が発生する確率は9%と、今月11日に政府の地震調査委員会が発表しました。

地震発生確率を計算するには、その断層で起きる大地震の「繰り返し間隔」と前回に起きた大地震は「いつだったか」の2点を知る必要があります。歴史上の記録がない場合は断層を掘削し、地震の跡を見つけ出して、年代を測定しますが、これがなかなかピタッとは決まりません。

琵琶湖西岸断層帯も掘削調査の結果、繰り返し間隔は1900年から4500年、前回の地震は2400年前から2800年前の間、というように年数にかなりの幅がありました。そのため、データの信頼度は「やや低いCランク」でした。

断層で起きる大地震の発生間隔は、陸域ではふつう数千年と長いため、30年という人間の1世代の間に、その断層で大地震が発生する確率を計算しますと、どうしても数値は小さくなります。

1995年の兵庫県南部地震をひき起こした野島断層について、地震が発生する前に立ち返って同様の発生確率を計算したところ最大で8%でした。これらのことを考え併せますと、琵琶湖西岸断層帯の9%は「数値は小さいが発生の危険性は高い」と言えます。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年6月

(「京都新聞 2003年(平成15年)7月17日 木曜日」に掲載)

琵琶湖西岸断層帯(2)地震の連動性

琵琶湖の西岸には、一番北の知内断層から南の膳所断層まで9つの断層が帯状に連なっています。これらをひとまとめにして琵琶湖西岸断層帯と呼んでいます。

この断層帯で「M7.8級地震の可能性」と、先月の京都新聞でも紹介されましたが、マグニチュード7.8の大地震になるのは、9つの断層が連動していっせいに活動する場合です。それぞれの断層が単独で活動した場合はマグニチュード6.2―6.8の地震にとどまります。

単独で地震が起こる可能性も、連動して起こる可能性も両方ありますが、数珠つなぎになっている断層帯は連動して活動しやすいことが、過去の例からも知られています。その理由のひとつに、地表では別々の断層に見えても地下深部ではつながっている事があるからです。

これら西岸の断層帯ばかりでなく、比良山系の西の花折断層とも、もっと深いところでつながっている可能性が指摘されています。これらを確かめるため、私たちは3カ年計画で京都―滋賀の断層深部構造の調査を行うことにしています。

なお、9つの活断層の詳しい位置は岡田篤正・東郷正美編「近畿の活断層」(東京大学出版会)にあります。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年7月

(「京都新聞 2003年(平成15年)8月21日 木曜日」に掲載)

宮城県北部の地震

宮城県北部では先月26日、震度6弱・6強・6弱の揺れを観測する地震が1日のうちに3回もありました。同県北部では5月26日にもマグニチュード7.0の地震があり、震度6弱を観測しています。5月の地震は海のプレートで、先月の地震は陸のプレートで起きました。

一方、近い将来発生すると予想されている「宮城県沖地震」は海と陸のプレート境界で起こる大地震です。メカニズムは南海地震と同じですが、繰り返し間隔は南海地震よりもずっと短く、平均で37年です。前回の地震(M7.4)は1978年6月でした。すでに25年たち、次の地震発生の危険性が指摘されています。

政府の地震調査委員会は、今後10年以内に想定マグニチュード7.5の宮城県沖地震が発生する確率は39%、30年以内では99%という高い数値を発表しています。

こういう状況下で、宮城県の人々は地震に対する意識が非常に高いようです。今回の地震でも、家屋の倒壊や負傷者は少なくありませんでしたが、犠牲者が出なかったことは、地震に対する意識の高さが背景にあると思われます。

27日01時55分、奈良県北部でマグニチュード3.5の地震があり、京都府加茂町で震度1を観測しました。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年8月

(「京都新聞 2003年(平成15年)9月18日 木曜日」に掲載)

京都盆地の活断層

読者から京都市の活断層について問い合わせがありました。これまでに何回か取り上げました花折断層は、鯖街道と呼ばれる国道367号に沿って,花折峠から京都市内にはいり、大原、八瀬をとおって吉田山の西まで続いています。花折断層はここまでですが、もうひとつの断層が銀閣寺から南へ、東山の山麓にそって東福寺、伏見稲荷へと続きます。これが「桃山断層」です。

京都市の西側には、嵐山の山麓から樫原をとおって向日市役所の東付近まで「樫原断層」があります。さらにその西側に、老ノ坂付近から南下し、光明寺の東をとおって長岡天満宮の南東付近まで続く「光明寺断層」があります。

このように京都盆地の活断層をおおまかに見ますと、東山と西山のそれぞれの麓を通る2本ずつの断層があり、これらを境に、東山や西山は隆起する一方、その中間は沈降しています。沈降部には隆起した東西の山々から土砂が流れ込み、平らな盆地が出来ます。ここに豊穣な堆積物と豊富な水に恵まれた京都市街地が形成されています。

京都周辺の活断層は国土地理院発行の「都市圏活断層図」1/25,000に詳しく記載されています。8月の地震回数は312回と、平均430回に比べると少なめでした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年9月

(「京都新聞 2003年(平成15年)10月16日 木曜日」に掲載)

2003年十勝沖地震

9月26日早朝、マグニチュード8.0の十勝沖地震が起きました。北海道を乗せている北米プレートの下には太平洋プレートが沈み込んでいますが、今回の十勝沖地震はこのふたつのプレート境界がずれたことが原因です。

この地域では過去にもプレート境界の巨大地震が起きています。1952年3月4日に起きたマグニチュード8.2の地震では、死者・不明あわせて33名、全半壊1千棟以上という被害を受けました。

それから半世紀余の間、陸側の北米プレートは太平洋プレートに引きずり込まれていましたが、今回の地震で一挙に1.3メートル跳ね返りました。逆に海側の太平洋プレートは1.3メートル沈み込みました。ずれた面積、すなわち断層の面積は80キロメートル四方と推定されています。

政府の地震調査委員会は、十勝沖地震が30年以内に発生する確率は60%と、今年の3月に発表していました。おなじく30年以内の発生確率40%と予測されている南海地震も油断はできません。

気象庁は9月から地震のマグニチュードの決め方を変えました。上の図は新しい方式に従って描かれています。気象庁のマグニチュードの決め方変更については、またあらためてお話します。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年10月

(「京都新聞 2003年(平成15年)11月20日 木曜日」に掲載)

余震の余震

10月8日の23時35分に、神戸市長田区の直下で、マグニチュード4.2の地震がありました。この地震は兵庫県南部地震の余震と見られています。9年近くたってもまだ余震があるのか、と思われるかも知れませんが、大きな地震の場合、その余震は10年や20年ではなくなりません。

余震は本震直後1日の数に対して、10日後に10分の1、100日後には100分の1というような割合で減っていきます。

本震直後の1日に、身体に感じる余震が50回あったとしますと、10日後には1日に5回、100日後には0.5回、つまり2日に1回起こる勘定になります。10年経っても3カ月に1回くらいは有感地震が起こります。

ところで、この余震の直後から、ほぼ同じところで身体に感じない小さな地震がたくさん起こりました。23時35分の地震は兵庫県南部地震の余震ですから、それに続く地震は「余震の余震」ということになります。数が多いため上の図では真っ黒になっていますが、その数は27回でした。

10月13日には滋賀県高島町の直下15kmのところでマグニチュード3.2の地震がありました。この地震にも10回ほどの身体に感じない余震が続きました。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年11月

(「京都新聞 2003年(平成15年)12月18日 木曜日」に掲載)

今年の被害地震

5月26日に起きたマグニチュード(M)7.1の「宮城県沖の地震」、7月26日に起きたM6.4の「宮城県北部の地震」、そして9月26日に起きたM8.0の「2003年十勝沖地震」と、今年は日本で3回も被害地震がありました。

この中で「2003年十勝沖地震」は気象庁が命名した地震の名前ですが、残るふたつについては、気象庁は名前をつけていませんので、正式名称ではなく通称名です。通称名のほうは地名の次に"の"を入れているのが特徴です。

北海道十勝地方では半世紀前に「1952年十勝沖地震」(M8.2)、宮城県では四半世紀前に「1978年宮城県沖地震」(M7.4)と、それぞれ大地震に見舞われています。さらに次の地震が30年以内に起こる確率が、それぞれ60%、99%と高いことも住民の地震に対する意識を高めています。地震被害が比較的少なかった背景には、こういった意識の高さがあると思われます。

今月の京滋の地震回数は288回でした。上の地図の中に示される京滋の月平均地震回数は400回余りですが、今年の3月以降は300回程度で推移しており、地震活動の低い状態が続いています。

なお、マグニチュードはMagnitude の頭文字を取ってMと記します。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2003年12月

(「京都新聞 2004年(平成16年)1月15日 木曜日」に掲載)

イラン南東部の地震 耐震性で悔やまれる

イラン南東部で12月26日、現地時間の午前5時26分、マグニチュード6.5の地震が起きました。古代からシルクロードの要衝の地として栄え、砂漠のエメラルドと呼ばれているバムの町が一瞬にして瓦礫の山と化しました。家屋の70-80%が倒壊し、人口の3分の1にも及ぶ4万人以上の人命が失われたと伝えられています。

地震がバム市の直下で起きたこと、耐震性の低い日干し煉瓦で造った家が多かったこと、早朝であったためほとんどの人が就寝中か家の中に居たことが、多くの死者を出した原因といわれています。

イランも日本と同じくプレートの境界にあり、地震多発国です。ユーラシアプレートに乗っているイランは南西からアラビアプレートに押され、年間3cmほど縮んでいます。そのため大地が盛り上がり、ザクロス山脈が形成されています。ここがイランの地震多発地帯です。今回の地震はそれより少し南東部で、イラン国内では地震の比較的少ないところでした。そのため古代の城跡「アルゲ・バム」が残っていたのでしょう。

 地震が直下で起こることは避けられないことですが、日干し煉瓦にもう少し耐震性を持たせることは出来なかったのかと悔やまれます。

なお、マグニチュードはMagnitude の頭文字を取ってMと記します。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

Status: 2004-01-07 更新