京滋地震情報

(おことわり)以下の文章および図は、京都新聞に連載されているものを転載したものです。

(この連載に関するお問い合わせ)地震に関する疑問や質問を電子メールでお寄せ下さい。アドレスはkagakubu@mb.kyoto-np.co.jpです。

2004年1月

(「京都新聞 2004年(平成16年)2月19日 木曜日」に掲載)

マグニチュード 生い立ち

“地震の大きさ”はマグニチュードで表し“揺れの大きさ”は震度で表します。マグニチュードはひとつの地震についてひとつの値が決まりますが、震度は震源から離れるに従って小さくなりますから、場所によって違った値になります。

揺れの大小を表す震度は1898年に気象庁(当時は中央気象台)で定められました。一方、地震そのものの大きさが計測されるようになったのはずっと後のことです。何しろ見えない地下深部の現象に大きさという"ものさし"を与えるのはなかなか難しいことだったのです。

1935年にアメリカの地震学者リヒターが、地震のものさしを次のように提案しました。「震源から100km離れた地点で固有周期0.8秒の地震計が記録した地震波の振幅の対数をとる」。その値に「大きさ」を意味する英語「magnitude」という単位を与えたのです。

あとになって、物理的根拠を欠く定義だとか、単位の名称が安易だったなどと批判も出るのですが、その批判こそ地震学の進歩でもありますので次回以降にご説明します。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年2月

(「京都新聞 2004年(平成16年)3月18日 木曜日」に掲載)

マグニチュード 決め方

地震のマグニチュードは、リヒターの定義により震源距離100kmのところで記録された地震波から決めることになっています。しかしいつも100kmのところに地震計があるとは限りませんので、それ以外のところで観測された地震波の振幅は100kmのところの振幅に換算する必要があります。

換算式を作る研究は各国で盛んにおこなわれたのですが、アメリカと日本、ヨーロッパやロシアで、換算式の係数が少しずつ違うこともわかってきました。ユーラシアや北米のような安定大陸では固い岩盤を地震波が通ってきますので、距離による波の減り方が少ないのですが、日本のような変動帯では波が早く減衰します。

こういうわけで国によってマグニチュードを求める式が違っています。日本のマグニチュードは気象庁が決めますのでMJMA と書き、ジェイ・エム・エイ・マグニチュードと呼んでいます。アメリカはMLと書いて、ローカル・マグニチュードあるいはリヒター・スケールと呼ばれ区別されています。

ひとつの地震にはひとつの値のはずのマグニチュードが、こういう事情で国によって少しずつ違っています。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年3月

(「京都新聞 2004年(平成16年)4月15日 木曜日」に掲載)

マグニチュード 頭打ち

地震のマグニチュードは固有周期0.8秒の地震計で記録した地震波から決めることになっています。

周期はブランコに例えれば、揺らしたときの往復に要する時間のことで、固有周期はブランコの長さによって決まる周期のことです。地震計も同じように固有の周期があります。

固有周期より短い周期の地震波に対して地震計は正しい波形を記録しますが、逆に地震波の周期が固有周期より長くなりますと感度が落ちてしまいます。

一方、地震は大きくなるほど長い周期の波が出てきます。マグニチュード(M)6ですと周期が1秒の波、M7では4秒、M8になりますと14秒もの周期を持つ地震波が発生します。

従って固有周期0.8秒の地震計で正確に記録できるのはM6くらいまでです。この地震計で観測している限り、M7やM8の大地震が起きても、M6としか算出できません。こういう事態をマグニチュードの頭打ちと言っています。

かつて固有周期の短い地震計しかなかった頃は、M8を越える地震は存在しないと思われていたこともありました。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年4月

(「京都新聞 2004年(平成16年)5月20日 木曜日」に掲載)

地震活動の静穏期と活動期

先月16日に亀岡市の南西でマグニチュード3.6の地震が起きました。この地震の余震のため4月の京滋の地震回数は371回に増えました。

このコラムをはじめた2001年4月以降に、京滋で起きた毎月の地震回数をグラフにしました。地震数の多い時期と少ない時期が繰り返していることがわかります。

地殻のストレスは地震が起きることによって発散されますが、地震が起きないとストレスは貯まる一方です。貯まったストレスは、いずれ地震によって発散されますので、地震の少ない時期の後には地震数が増えるときが来ます。

去年3月頃から地震数の少ない時期が続いていましたが、4月の地震をきっかけに、しばらく地震活動の高い状態が続くと思います。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年5月

(「京都新聞 2004年(平成16年)6月17日 木曜日」に掲載)

丹波山地、続く地震の静穏期

5月19日亀岡市の南西部で、マグニチュード3.6の地震が起きました。4月16日に起きたマグニチュード3.6の地震とほとんど同じところです。この地震の余震が続いたため、5月の地震数は331回になりましたが、平均回数410をまだ下回っています。丹波山地での地震活動は今なお静穏期にあると言えます。

このような静穏期はこれまでに何回もありました。1年余りの静穏期のあとは、マグニチュード4クラスの地震が起きて、元の地震回数に戻るのが通常です。

1995年兵庫県南部地震の前にも丹波山地では地震の静穏期がありましたが、前年の6月頃から活発化に転じました。このような例は1回だけですので、今回の静穏期が必ずしも大地震につながるとは言えません。

しかし長期的に見ますと現在は西南日本全体が地震の活動期ですので、私達は丹波山地における静穏期から活動期への戻り方に注目しています。

私共の得た地震情報はホームページで公開しています。

http://www.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/main/HomeJ.html

「近畿北部における最近の地殻活動」「リアルタイム地震情報」をご覧ください。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年6月

(「京都新聞 2004年(平成16年)7月15日 木曜日」に掲載)

琵琶湖西岸断層帯 予測震度

琵琶湖西岸断層帯で30年以内にマグニチュード7.8の地震が発生する確率は最大で9%と、政府の地震調査委員会が昨年の6月に発表しました。続いて先月、同委員会は、この地震が起きた場合の各地の予測震度を発表しました。

震度の予測にあたっては、経験則をもとに割り出す従来の方法と違い、コンピュータの中で地震を発生させ、各地に到達する地震波形を計算する新しい方法を採っています。その計算波形をもとに各地の震度を割り出しているのです。

発表された予測震度を見てみますと、今津・大津・京都・草津及びその付近はすべて震度6弱以上、所によっては震度6強と予測されています。震度6弱でも、人は立っているのが困難です。家具は転倒し、家の壁や柱も破損、山崩れなども発生します。震度5強はさらに京滋の広い範囲に及ぶと予測されています。

震度には地盤も大きく影響するため、遠く離れた大阪湾の埋立地の一部でも震度5強になる場合があると予測されています。

6月の京滋の地震回数は317回と低調でした。昨年3月頃からの丹波山地の地震活動の静穏期は依然続いているものと見ています。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年7月

(「京都新聞 2004年(平成16年)8月19日 木曜日」に掲載)

最後の被害地震から174年

今から174年前の1830年8月19日、京都市の西北西、愛宕山付近でマグニチュード6.5の地震が起きました。

「御所破損、二条城本丸はじめ諸建物の潰れ多く、地割れありて泥を噴出す。西本願寺は1尺(30cm)傾き、冷泉家の土蔵4潰れ」と日本被害地震総覧に記されています。地震が起きたのは午後4時頃、夏の暑い夕方だったようです。地震による死者は京都で280人、亀岡で4人でした。

以来170年余り、京都に被害地震は起きていません。しかし、日本被害地震総覧によりますと、京都に被害を与えた地震は西暦827年以降11回起こっています。平均すれば100年に一回の割で、都は被害地震に遭っていることになります。

被害地震の空白期間170年余は、平均間隔をはるかに超えています。

毎月の地震分布でもわかりますように、京都周辺ではつねに身体に感じない地震がたくさん起きています。このことは、この地域には大地震を起こす潜在的な能力があることを示しています。

4月と5月に起きた亀岡市南西の地震で、一時増えた地震回数は、7月は311回と再び減少しています。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年8月

(「京都新聞 2004年(平成16年)9月16日 木曜日」に掲載)

紀伊半島沖の連続地震

9月5日19時07分、紀伊半島の南東沖100kmの海底でマグニチュード6.9の地震、続いて23時57分にマグニチュード7.4の地震が発生しました。

京滋では、ゆっくり小さな揺れが次第に大きくなって、長く続きました。このような揺れ方が紀伊半島沖や四国沖で起きる地震の京滋での揺れ方の特徴です。

次の南海地震が起きた場合も、同じような揺れ方が想定されますが、想定南海地震のマグニチュードは8.4です。揺れの大きさも揺れが続く時間も、はるかに大きく長いと予想されます。

マグニチュード7.4に対して8.4のエネルギーは30倍になります。例えて言いますと、マグニチュード7.4の地震は大阪府の面積(1900平方キロメートル)よりやや小さめの面積の断層が2mずれる程度、マグニチュード8.4は近畿2府5県を足し合わせた総面積(33100平方キロメートル)の断層が5mずれる大きさです。

南海地震はいかに巨大かがわかります。揺れもそれに比例して大きく長く続きます。5日の地震の体験を生かしての備えが必要です。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年9月

(「京都新聞 2004年(平成16年)10月21日 木曜日」に掲載)

紀伊半島南東沖の地震(続)

9月5日に起きた紀伊半島南東沖の地震(M7.4)は、南海トラフの直下で起きたため、想定されている東海地震や南海地震を誘発するのではないかと心配されました。

もし、5日の地震が南海トラフ沿いで起きる巨大地震と同じように、フィリピン海プレートと陸側のユーラシアプレートの境界で起きていたならば、その懸念は大いにありました。しかし、地震波形から推定された地震断層は、プレート境界ではなく、フィリピン海プレート内だということがわかり、当面の心配は払しょくされました。

しかし、これで南海地震や東海地震の危険が去ったわけではありません。南海地震が30年以内に発生する確率は2001年では40%だったのが、今年の9月には50%になっています。このように発生確率は時間と共に高くなっていきます。それに伴ってプレート内のストレスも高まり、プレート内地震も活発化します。

すでに、ユーラシアプレート内では1995年兵庫県南部地震(M7.3)や2000年鳥取県西部地震(M7.3)、フィリピン海プレート内では2001年芸予地震(M6.7)と5日の地震が起きています。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年10月

(「京都新聞 2004年(平成16年)11月18日 木曜日」に掲載)

新潟県中越地震

10月23日17時56分、新潟県中越地方で、マグニチュード(M)6.8の地震が発生しました。その7分後にM6.3、15分後にはM6.0の地震、さらに38分後にM6.5の地震と、立て続けに大きな地震が発生しました。震源地では震度7と震度6強の強い揺れに襲われ、甚大な被害が出ています。

この地域は東西からの強い圧縮力によって、魚沼丘陵や六日町盆地のような、丘陵と盆地が交互に縦縞のように並んでいます。丘陵と盆地との間にはいくつもの断層がありますが、地表は厚い堆積層に覆われていますので、見えない断層もあると思われます。

大学などの観測による詳しい余震分布を見ますと、地震を引き起している断層はひとつではなく、3つも4つもあることがわかりました。しかもそれぞれの断層が、同じ面上に並ばず、離れたところで互いに直交する方向に出来るなど、複雑な破壊をしているようです。

地震によって新たな断層が出来ている可能性も示唆されており、大きな余震が続くのもこのためではないかと思われます。

京滋の地震回数は4月以降、少し増えていましたが、9月からは再び減少傾向にあり、10月の回数は258回でした。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年11月

(「京都新聞 2004年(平成16年)12月16日 木曜日」に掲載)

12月1日京都でM4.0の地震

12月1日の午後11時30分、京都府南部でマグニチュード4.0の地震があり、京都市や大津市で震度3を観測しました。震源は花折断層の南端、京都市左京区一乗寺付近の深さ13kmのところでした。

花折断層を含む丹波山地の微小地震の発生回数は、昨年の3月以降減少しており、11月も228回と、このコラムをはじめた2001年4月以降、最も少ない発生回数でした。

1日の地震では身体に感じない小さな余震が、2日の午前中までに68回ありましたので、地震回数は一時的に増えました。しかし、この余震も2日の午前中でほぼ終わり、丹波山地全体の地震活動を元に戻すほどではありませんでした。

一方、兵庫県北部の温泉町付近では、京都の地震の余震活動がおさまった2日の昼過ぎから、群発地震活動が始まり、3日までに600回を超える地震が観測されています。また、神戸市灘区でも11月30日にマグニチュード3.5の地震がありました。

丹波山地のみならず、周辺地域、さらに西南日本での地震活動が活発化する兆しかもしれません。備えを怠らないようにしましょう。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)

2004年12月

(「京都新聞 2005年(平成17年)1月20日 木曜日」に掲載)

スマトラ沖の巨大地震

スマトラ沖地震による大津波は、インド洋周辺国に甚大な被害を与えました。スマトラ島やマレー半島が乗っているユーラシアプレートが、長さ1000km、幅150kmにわたって西へ7〜10mずれたのがこの地震の原因です。

西へずれるのと同時に海底のプレート先端部が跳ね上がりましたから、海水も長さ1000kmにわたって盛り上がり、大津波になりました。

一方、先端部が跳ね上がった反動で陸側(東側)が少し沈降しました。このため東側のスマトラ島やタイのプーケットでは、最初の津波は“引き波”、つまり海水が引いた状態になりました。このことも海辺にいた人々を油断させたようです。

引き波の後には必ず“押し波”が襲ってきます。南海地震もスマトラ沖地震と同じプレート境界で起こる巨大地震ですので、最初に”引き波”が到達する地域があります。大きな揺れを感じたら、たとえ海の水が引いても急いで高い所に避難しなくてはいけません。

12月の京滋の地震回数は342回と前月に比べて増えましたが、その多くは12月1日の花折断層南端部の地震の余震でした。丹波山地全体の微小地震の数は依然少ない状態が続いています。

(梅田康弘・京都大防災研究所地震予知研究センター長)


Status: 2005-1-24 更新